2014年 08月 31日
南仏4日目ー3 マティスの礼拝堂(ヴァンス)
マティスのロザリオ礼拝堂 (Chapelle Du Rosaire)
(正式にはドミンゴ会修道院ロザリオ礼拝堂)
1947年、戦争が終った時マティスのアトリエの向かいにあった修道院から礼拝堂の再建の依頼がきました。
マティスを訪ねた修道女は、彼が71歳の時にガンで闘病中に献身的に看病してくれたSr.ジャック・マリーでした。
運命的な出会いにマティスは感動、77歳のマティスは無償で礼拝堂再建に力を貸すことにしました。
マティスは1948年から礼拝堂の設計、内外装から聖職者の祭服に至るまで全てのデザインを手掛けました。
4年後の1951年にロザリオ礼拝堂が完成。
マティスはその4年後に84歳でその生涯を閉じました。
マティスとマリー
【この礼拝堂を訪れる人が、心が軽くなること、たとえ信者でなくても精神が高揚し、思考が明晰になり、
軽やかな気持になることを願って作った】(マティス)
入口には、聖ドミニコと聖母子像が描かれています。
内部は撮影禁止でしたので絵ハガキ写真を載せます
ブルー・グリーン・イエローの3色で構成されたステンドグラスは、聖書に登場する「生命の木」がモチーフになっています
祭壇と「聖ドミニク」
「聖母子」
キリスト像
生命の木と「14のシーンからなるキリスト受難の物語」
祭壇と「生命の木(l’Arbre de Vie)」
これらの写真のようなステンドグラスから差し込む光を見たかったのですが・・
あいにくの曇り空、おまけに祭壇の前には信者のための椅子がずらりと並んでいてガッカリ。
マティスが晩年心血を注いで完成させた礼拝堂を以前から見たかったのでその願いはかないました。
マティスらしいシンプルで美しい教会でした。
16時 ホテルに戻りました
19時30分 ホテル内レストランで夕食
ビーフのカルパッチョ、スズキのグリル、チョコレートケーキ、メレンゲ
お魚にはまったく塩も振っていないようで味が無い!
レモンとお塩を注文してやっと美味しくいただきました。
(正式にはドミンゴ会修道院ロザリオ礼拝堂)
1947年、戦争が終った時マティスのアトリエの向かいにあった修道院から礼拝堂の再建の依頼がきました。
マティスを訪ねた修道女は、彼が71歳の時にガンで闘病中に献身的に看病してくれたSr.ジャック・マリーでした。
運命的な出会いにマティスは感動、77歳のマティスは無償で礼拝堂再建に力を貸すことにしました。
マティスは1948年から礼拝堂の設計、内外装から聖職者の祭服に至るまで全てのデザインを手掛けました。
4年後の1951年にロザリオ礼拝堂が完成。
マティスはその4年後に84歳でその生涯を閉じました。
マティスとマリー
【この礼拝堂を訪れる人が、心が軽くなること、たとえ信者でなくても精神が高揚し、思考が明晰になり、
軽やかな気持になることを願って作った】(マティス)
入口には、聖ドミニコと聖母子像が描かれています。
内部は撮影禁止でしたので絵ハガキ写真を載せます
ブルー・グリーン・イエローの3色で構成されたステンドグラスは、聖書に登場する「生命の木」がモチーフになっています
祭壇と「聖ドミニク」
「聖母子」
キリスト像
生命の木と「14のシーンからなるキリスト受難の物語」
祭壇と「生命の木(l’Arbre de Vie)」
これらの写真のようなステンドグラスから差し込む光を見たかったのですが・・
あいにくの曇り空、おまけに祭壇の前には信者のための椅子がずらりと並んでいてガッカリ。
マティスが晩年心血を注いで完成させた礼拝堂を以前から見たかったのでその願いはかないました。
マティスらしいシンプルで美しい教会でした。
16時 ホテルに戻りました
19時30分 ホテル内レストランで夕食
ビーフのカルパッチョ、スズキのグリル、チョコレートケーキ、メレンゲ
お魚にはまったく塩も振っていないようで味が無い!
レモンとお塩を注文してやっと美味しくいただきました。
by emukonotabi
| 2014-08-31 20:26
| 2014年南仏旅行